セミリタイアを目指す理由①

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会社を辞めて自由になりたい

私がセミリタイアを目指している理由は、会社を辞めて自由になりたいからです。

当たり前と言えば当たり前の理由ですが、私の場合は、そう言い切れる今の心境に至るまでにはそれなりの葛藤というか、心の中のハードルみたいなものがありました。

40歳にもなって「自由になりたい」とか、社会人として大丈夫なの?

他の人より優れたスキルとか資格がある訳でもないし、子供の教育費もかかり始めるこの時期になって「会社を辞めたい」とか言って、無責任じゃないの?

という感じで、口にすることはもちろん、考えることすら許されないことのように思っていました。

平成の猛烈社員だった30歳代

当然ながら、セミリタイアすることに不安がない訳ではありません。

今でも時々、「この会社に定年まで勤めることができれば(=定年まで勤めることができるメンタルを保つことができれば)それに越したことはないのかな、と思うこともあります。

また、同じ会社に勤めているほとんどの人は、当たり前に定年まで勤めるつもりなのだと思います。

その考えを否定するつもりは全くありません。

脇目も振らずに定年まで走り抜けることができるのであれば、それは本当に素晴らしいことだと今でも思っています。

実際、私も数年前までは、漠然と「定年まであと○年か、、、○歳くらいまでには昇級して、○歳くらいになったらあの部署に行って、、、」等と考えながら会社員としての日々を送っていました。

特に20歳代、30歳代の頃には、「クソがつくほど真面目な奴だ」と言われながら仕事をすることで会社や上司に認めてもらいたいと思っていましたから、社内では出来るだけ敵を作りたくないし、少なからず同期や同僚との実績競争も意識するし、、、そうなると休日返上で仕事に出て行ったり、気が進まない飲み会にでも時間とお金を費やしたりするし、、、。

といった感じで、特に30歳代は、家族との時間を犠牲にし、やりたいことを先延ばしにしながら、自分の中の「仕事のできる会社員」像を追い求め、私なりに猛烈に働いていた10年間でした。

この記事を書きながら思い出しましたが、30歳代前半頃までは「仕事を辞める時は死ぬ時だ」とさえ思っていました。

40歳代をどう過ごす!?

そんな私が40歳代になった頃、いわゆるコロナ禍が始まりました。

緊急事態宣言の際には、会社に出勤できない期間が少なからずありました。

それまで在宅ワークという先進的な働き方など考えてもいない会社でしたから、在宅ワークという名の自宅待機という日々を過ごしました。

本来であれば会社で仕事をするのが当たり前だった平日の昼間の時間帯に、物理的に仕事が出来ない状況になった私は、「さあ、何に時間を使おうか」と考えました。

最初に思いついたのは、社内で昇給、昇格するための社内資格の取得に向けた勉強でした。

私は、社内資格の取得に向けた勉強を始めながら、社内での今の自分の立ち位置と10年後(50歳代になった時)の自分の姿を想像して勉強のモチベーションにしようとしましたが、どうにもうまくいきませんでした。

私の場合、若い頃から、それなりに社内資格の取得に向けて勉強をしてきていましたので、社内での昇給や昇格は決して遅い方ではありませんでした。

当然ながら、昇給したり社内での役職が上がっていけば責任もより大きなものになっていきます。

自分なりに猛烈に仕事をしながら今の立ち位置を維持してきたこの10年のことを振り返ってしまいました。

私は少しづつ、次の10年もこれまでの10年と同じように(同じような働き方で)仕事をしていくしかないのか??と思うようになりました。

その数年前に訳あって早期退職した先輩の「会社を辞めて気が付いたことだけど、会社でやっている仕事がうまく行こうと行くまいと、世の中のほとんどの人には何の関係もないし興味もない。」という話や、テレビCMで流れていた、テニスプレイヤーの大坂なおみさんの「テニスだけが私の全てではない」という言葉は、当時の私にとって、とても印象深いものでした。

そうして私は「仕事のできる会社員」像を追いかけるような働き方をやめることにしました。

(その2へつづく)

  

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