セミリタイアを目指す理由②

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「セミリタイア」という言葉との出会い

「仕事ができる会社員」像を追い求める働き方をやめて、即、「次はセミリタイアを目指すぞ!」となった訳ではありません。

猛烈社員をやめると決めた私は、今の会社でいかに心地よく残りのサラリーマン生活を過ごすのか、を模索し始めていたところ、スマホで見たネット記事で「FIRE」という言葉を知りました。

言わずと知れた「Financial Independence Retire Early:経済的自立と早期退職」です。

勤続20年のサラリーマン思考の私ですから、初めは「早期退職」と聞いても全く現実味のない話だと思っていましたが、その後も何となくFIRE関連の記事を読むようになり、現実にFIREを達成している人たちもいることを知りました。

また、ある程度の資産や事業収入を持ち、労働収入への依存を減らした状態で早期退社するサイドFIREとかセミリタイアというスタイルがあることもわかりました。

何となく会社員としての自分の将来像が描けなくなっていた私は、何とも言えないワクワクした気持ちというか、「これなら自分にも出来るんじゃないか」という感じで、居ても立ってもいられない気持ちになりました。

セミリタイアに向けた一歩を踏み出すために

とは言え、40歳代と言えば本業の会社員も働き盛りの時期ですから、なかなか一歩を踏み出すことができませんでした。

セミリタイアを思い立ってからも、会社の仕事にかける時間や社内での人間関係に費やす時間やお金はそれまでどおり、、、結局このまま時間が経って気が付けば50歳代になってしまうのか、、、(汗)

そんな時、セミリタイアに向けて大きな一歩を踏み出す出来事がありました。

何年も前から家族が熱望し、ようやく実現しようとしていた沖縄旅行を、急な仕事のせいで直前になってキャンセルせざるを得ない状況になったのです。

急な仕事とは、もともと私自身が担当していた案件ではなく、うまく進んでいない他のチームの案件のフォローに入れ、というものでした。

自分のチームの案件ならまだ融通も聞いてもらえるのでしょうが、他のチームに投入されてしまっては、到底、旅行に行ける状況ではなくなり、泣く泣く旅行はキャンセルしました。

沖縄旅行を計画していることは前々から上司にも伝えていましたが、何の配慮もされず、キャンセルせざるを得ない状況でした。

大袈裟ではなく、家族みんなが涙を流しました。

会社という組織の一員である以上は、いつもいつも自分の思い通りに休みが取れる訳ではないことはよくわかっています。

それがよくわかっている妻は、沖縄旅行を予約する時、私に何度も「いい?予約するよ?本当に大丈夫?予約しちゃうよ??」と聞いてきました。

それを不意にされたトラウマは決して小さいものではありません。

いきなり会社を辞めることはできませんが、セミリタイアへの一歩を踏み出すため、私は自ら環境を変えていくことにしました。

入社後、長らく在籍してきた部門からの人事異動を願い出て、シフト制に近い勤務形態で休日の予定が立て易い部門に異動しました。

全く異なる部門に移動することで、

  • セミリタイアの準備にかける時間を確保すること
  • 仕事のノウハウや人との繋がりが蓄積された部門を離れることで会社への帰属意識を弱めること

が目的でした。

セミリタイアの実現に向けて

10年以上仕事をしてきた部門から異動することは、それなりの覚悟が必要でした。

人との繋がりや、勤務形態が変わったことにより長期の休暇が取りにくくなったことなど、失ったものもそれなりにあります。

しかし、セミリタイアに向けて動き出すためには必要な選択だったと思っています。

セミリタイアに向けた準備にかけられる時間は確実に増え、資産運用や稼ぐ力を付けるための勉強も少しずつではありますが進めています。

異動を機に、妻にも「セミリタイアしたい」と正直に伝えることもできました。

妻の返事は意外なほど軽快なもので「いいんやない。じゃあ、どうしていく?」という感じ。

長年勤めてきた部門から異動したことで、私の覚悟や思いを理解してくれたのかな、と思っています。

セミリタイアの道のりはまだ始まったばかり。

今後も、勉強の成果や、心境の変化などをこのブログに載せていきたいと思っています。

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